母が父を閉め出した~痴呆気味の父に対する母の虐待~
事件発生
両親の近くに住む姉から電話が入ったのが事の始まりだった。
姉:「お母さんがお父さんを閉め出した!!!」
私:「はっ?!」
姉:「お父さんからさっき電話があって、今晩泊めてくれってお願いされた。
お母さんが家の鍵を全部閉めてお父さんが家に入れないようにしている。」
私:「・・・」
最近よく聞く児童虐待のニュースかと勘違いした。あの母ならやりかねないが、それにしても酷過ぎる。
夕方帰ってきた父が入れないように、母が家中の鍵を閉めて父が家に入れないようにしたらしい。
超えてはならない一線を越えた感じ。
数日前までの状況
私の父は今年80歳を過ぎたところであり、日に日に忘れやすく身体を動かすことがかなり億劫になっている痴呆気味の高齢者である。
母は70歳を過ぎたあたりでまだ頭ははっきりしていて家事も問題なくこなす元気がある。
家にいても座ったままでほとんど動くこともなく、たまに出かけて行っては長時間家を留守にする父に対し、母は、家のこともせず好き勝手しやがってと嫌悪感を抱いていた。
そんな日々の中で事件は起きた。
ローランド様風に言えば、お年寄りは以下のように2つに区切ることができる。
- ボケたお年寄りか
- ボケていないお年寄りか
歳をとるほど身体を動かすのは億劫になるのであろう。容易に想像はできないが
父は、残念ながらボケたお年寄りと言っていいだろう。
母への職質
平日の夜、私はまだ仕事中であったが、父閉め出し事件発覚後すぐさま母へ電話した。
私:「お母さん。何かあったの?お父さんが姉のところに泊まりたいと言ってきたらしいけど。」
純粋な気持ちで何かあったのか聞いてみる。
母への怒りや不快感を心の奥底に沈み込ませ、平穏で静かな声を意識して聞いてみる。
あくまでこの電話では母が主体だ。母の胸の内を探る。と言っているけど母の胸中なんか知れたものだ。
これまでの父の言動に対する母の逆襲なのだ。
自らを犠牲にして他人へ尽くすという素晴らしい愛情を持っている母だが、他人にも同じことを要求するところが欠点である。
自分がやってあげていることを相手から自分へ反すのが当たり前と思っている。
見返りを前提として行動するなら有難迷惑になるため、最初からそんなことはしてくれるなというのが周りの少なくとも子供たちである私の兄弟からの意見だ。
お母さんも相当辛い思いをしたんだよね。
母へ同情を示し、先ずは母の怒りを抑えることで状況の収拾を図る。
誰が悪い、誰が正しい訳ではなく、両親ともに辛い想いをしているだろうと推測し、母へ同情の思いを精一杯伝える。
相手の本当の気持ちを知るには最大限相手の状況や心情を理解することが先決であると思われる。
以前から母は、私たちへ、父に対する愚痴を言っていた。結婚当初からほとんど家事を手伝ってくれなかった。しかも、仕事の帰りは遅く、小さい子供が病気をして大変な状況でも頼る人がいず、人知れず一人で不安な気持ちを抱え苦労していたと。今こうして、母の積年の思いが歳を取って衰えた父に牙を向く。
状況整理
庭の整備をしようと手伝いを求めた母であったが、父は一行に手伝う気配を見せず、ただただテレビの前に座ったままで動こうとしなかったため、視界に入るのも嫌気がさした母は父を家から追い出すべく、外出を促した。
(本当は外出なんかして欲しくなく、手伝って欲しかったのだろうが、上手にお願いできないのが母の不器用なところである。)
それに甘えた父はお気に入りのショッピングモールへ向かう。
特に何かを買うのではなく、その場の賑やかな雰囲気を楽しむことが今の父の唯一の娯楽なのだ。
長時間家を留守にし、夜遅く帰る父に母は激怒。
日が暮れても帰らない父に対し怒り心頭の母は家の鍵を全て閉めて寝床に入ってしまった。
帰ってきて家中のドアが開かず、家に入れなくなってしまった父が助けを求めて姉に電話を入れたのがきっかけで私はこうしてブログを書いている。
結局その日、父は姉の家に泊まり、母は一人で寝入ってしまった。
対処法
- 別居
- 離婚
- 居候
- 介護施設に入る
- 和解
1.離婚(別居)
物理的に離れる。
2.父、母のどちらかが私を含む兄弟の誰かの家に居候
一時的にでも両親を隔離する
3.介護施設に入所させる
これはこれで精神的苦痛。老人のだれもが嫌がる最終手段。お金の問題を除けば有力な解決方法
4.和解
10代、20代の若いカップルなら謝ってキスをして仲直りができるかもしれないが、両親とも高齢なのである。
頭が固いうえに精神的にも肉体的にも無理が効かない年齢と考えると問題解決の現実味はかなり薄い。
(私個人的には、父にもう少し家事をやって欲しいのだが。)
一番効果がありそうなのは3番の
介護施設に入る
であるだが、時間と説得するための戦略が重要
本人にとっても生活環境の良さを理解してくれたら入所を決意するのでしょうがそうは簡単にいきません。
父は特にプライドが高いため説得のみならず、気づかれないよう今の生活環境に如何にして取り込めるかがポイントだと思う。
父が嫌がるであろう介護施設への入所は悪なのか?
この問いが一番難しく、将来を見越しての判断はほぼ無理なのではないかとさえ思える。
願い
両親ともに幸せになって欲しい
私の家は裕福ではなく、と言っても貧乏というわけでもなく、持ち家も土地もあり、兄弟4人とも大学へは行っている(学費は一部自分で負担)
両親は自分のやりたいことよりも、私たち兄弟の健康と教育を最優先にした。遠くの進学校に通うために借り家と実家を行き来することも。
両親ともに、禁止されている副業に手を出すことも。
私たち兄弟が問題を起こすたびに、意見の違う父と母がしばしば喧嘩をしていたことを今でも覚えている。父も母も子供のことを第一に考え、深い愛情があったからこそ衝突をしていたのでしょう。
そんな両親に対し、子供として両親の幸せを願わないはずはありません。
兄弟がみな自立した今、両親2人仲良く好きなように生きて欲しい。こう願わずにはいられません。
(今回の事件はお互い、特に父が好き勝手やったがために起こったのが痛いところですが。)
自分を見つめなおす
家事というものは男か女かどちらがやるなんて決まりは全くなく、家族全員が可能な限り協力することが重要だと感じている。
職場での人間関係の中でさえ、周りと比較し利得関係を気にすることが当たり前なこの世の中、生活を共にする家族内での利得関係もなかなかシビアでしょう。
甘えられると思う相手が近くにいればこそ、自分を楽にしてくれると淡い期待を抱いてしまうのでしょう。
片方に余力があってもう一方を支えられる時はいいものの、お互い同時に相手に頼ろうとした時に悲劇が起こるのでしょう。
歳をとっても家事手伝いは欠かさずやらないといけないなと自覚するのだが、いざ自分が年老いた時に軽いフットワークで家事ができるかと問われると自信をもってイエスと言えないのである。
仕事が立て込み、久しぶりの休日がやってきた時にいくら天気が良かろうと身体を動かす気にならないのを思い返すと、なおさらに自信を無くす。
命あってこそ
地元の言葉に「ぬちどぅたから」とありますが
幸せも喜びも命があってこそ味わえるものと考えると、元気で長生きすることが一番のように感じます。
悔いはないですか?
毎朝鏡の前で自分の顔に問いかける。
楽しみや幸せはすぐそこにある。
ちょいと手を伸ばして掴むだけ。
自分の心に素直に、自分が幸せになれればきっと周りも幸せになる。
自らの幸せで得た余裕を糧に周りの為に行動を起こす。
そして周りが幸せになると巡り巡って自らのところへ期せずして幸せが舞い込んでくる。
これが、幸せのスパイラル
父は結局
閉め出された翌日は家に帰りたくないと言った父であったが
3日後には母のもとへ帰っていった。
たとえ古くても、やはり住み慣れた家が落ち着くのであろう。
私が、
お気に入りのショッピングモールへ歩いて行けるくらいの場所へ引っ越したら
と提案しても、今の家がいいのだという。